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富山冤罪事件の裁判官について

久しぶりに一言言わないと腹の虫が治まらないことがあった。

富山県氷見市の男性(40歳)が婦女暴行・同未遂容疑で県警に誤認逮捕(事件当時34歳)されて服役した冤罪(えんざい)事件で、男性を無罪にする20日に開かれた再審が藤田敏裁判長による富山地裁高岡支部で初公判を迎えた。

弁護側も冒頭陳述を行い、「被告が犯人であるとの強度の予断、偏見に基づいて逮捕、拘置し、長時間にわたる高圧的な取り調べを行って虚偽の自白を強要、刑事被告人に仕立てた」と、捜査の過失を厳しく指摘するのは当然として。

検察側は「被告人は無罪であります」とだけ述べ、捜査過程は明らかにしなかった。というが、無罪を確定するには冤罪が証明されただけではなく、無罪を立証する裁判を起こさないといけないのが今の日本の司法制度である。

正直裁判というのは争点があって始めて成り立つものと私は認識していた。しかし、この裁判に争点はないように思う。ではなんのための裁判であろうか?

事実関係の認否?それとも、冤罪を生んだ捜査の検証?冤罪になったこの男性への賠償額を確定するため?

そうやら、そのどれでもないらしい。

この男性は冤罪に関して当時の捜査官を法廷に証人として召致を要求した。そのことからも、この男性は少なくとも事実関係の認否を目的として裁判を行っていることになると思う。

だが、原告は証拠捏造(ねつぞう)の実態などを明らかにするため、県警取調官に対する証人尋問を申請したが、「必要ない」との理由になっていない理由で却下された。では、何のための裁判?って思ってしまう。

「必要ない」と裁判官が言ったということは、この裁判は無罪を確定するためだけの裁判であって、捜査の捏造に対する県警に対する損害賠償請求をするための裁判ではないからという意味だからであろうか?

とすると、こういうことになる。冤罪事件とは、まず事件が発生し被告となると、まず、自分の無実の罪に問われる裁判によって拘留、または留置を受け、冤罪とわかってから、無実を証明する裁判を行い、さらに捏造を戒める為、捜査をした人間の過ちを認めさせるための裁判の3回を行わないといけない、ことになるわけだ。

無実の人間の側が、貴重な人生の多くの時間をこんなことのために費やされるのはおかしい。この方の場合2つ目の裁判までで10年近くの年月が経っている。働き盛りの人生を謳歌する年齢の時にである。捏造の立証まで裁判で争ったらそれこそ15年だ。人生のおおかた1/5をおおかたこのことに費やす計算だ。

その前に、富山県警のこの捜査をした調査官は無罪をわかってこの男性を犯罪者に仕立てたのは明らかであり、その捜査官たちが逮捕されないのはおかしい。医者が不適切な手術で患者を死なせた場合、責任を追及される。建築士も姉歯の様に強度を偽装すれば逮捕される。国家権力は、違法な捜査をしてもお咎めなしなのであろうか?非常におかしい。最近警察をみると全部犯罪者にみえる。多分私以外のかなりの方がそう見ているのではないだろうか?事実犯罪者である。法定速度をかなりオーバーして事件があったわけでもない、必要もないのに加速して走りぬけるパトカー。飲酒運転する人間がすくなくなったので、点数が稼げなくなったので、急に自転車の盗難とかばかり調べるようになった警察官。しかも、同じ人間をなんども止めて。一度調べたら自転車に1年間くらい有効な調べましたっていうシールでも渡せっていうんだ。裏金ばかり作っている捜査官。収賄。談合に加担する捜査官。正直ここまで犯罪の横行している組織は暴力団か警察か?ってくらいであろう。

犯罪を取り締まるところが、実は2番目に犯罪が多い組織っていうことで、しかもそれを上記の様に司法が容認している。ここに、日本の問題点があるように思う。

だが、今後この「藤田敏」という裁判官が最高裁の裁判官になったとしたら、私はちゃんと覚えておいて、選挙のついでに行われる信任投票では落としたいと思う。そのときちゃんと周りの人にも伝えて生きたい。

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